バックナンバー 2011/09

9月 18 2011

江津に戻ってきました。

今日(9/18)は、連日の色々な方との深夜までのコミュニケーションで、午前中はホテルでゆっくり。
13:30羽田発の飛行機で米子APに向けフライト。
さすがに、疲れていたのか座席に着くと同時に就寝。
シートベルト着用のライトが消えた旨のアナウンスで、目が覚め窓の外を見てみると、
「あら、いつもと景色が違う。」
時々ある、富士山の裏を通るルートの様で、眼下に東京ドーム


天気が良く、絶好の景色。
遠くには富士山も


日本海に出るころから雲が厚くなり、降下途中で雨が・・・。
台風の影響なのか、米子から江津に戻る途中も、所々で強い雨。

江津に到着すると雨は上がっていたが、所々に水溜り。

とりあえず、ヘロヘロながら、夕方江津に戻りました。
お会いした、皆様ありがとうございました。

江津に到着し、駅の駐車場に向っていると
「山藤さんですよね。ペロです。」と声を掛けられた。
ペロさんには、当ブログに時々コメントを寄せていただいている。
少し、駅前で立ち話をさせていただいた。
嬉しい出会いであった。

明日は、某企業で講義予定。
今晩は、ゆっくり休養して、明日からまた頑張らなければ・・・。

コメントはまだありません。

9月 18 2011

懐かしさ

投稿者: カテゴリ:店主のまわり,店主ブログ

昨日(9/17)は、日中の予定が無くなり、旧知の当ブログへ時々コメントを頂く”にわしん”君に電話。
「今日、午後時間無い?会わない。」
「えっ、午後はバンドの練習だよ。」
「見に行ってもいい?」
「もちろん」
と言うことで、14:45に代々木駅で待ち合わせすることになった。

待ち合わせ時間までに、2時間ほどあり、道中である麻布十番で途中下車。
その昔、時々行っていた頃は、麻布は地下鉄が無く、六本木から芋洗坂をくだり行ったものだったが、今や南北線、大江戸線の駅があり、すぐ近所には六本木ヒルズがある環境に変わった。
さぞかし、大混雑かと思ったが、人ではそこそこ。
何か、活気の無い町並みの様な気がした。

さすがに車は多く、一通の狭い通りは渋滞になるほどではあるが・・・・。
イタリアン等の洒落た店はあるが、老舗の数は少なくなった様な?
表通りの鳥居坂近郊に有った、行き着けになっていた寿司屋は、無くなっていた。

店は、時代と共に変化するのは仕方ないにしろ、地下鉄の駅も出来、六本木ヒルズが出来たのに、なんとなく寂しく感じたのは、土曜日の昼間だった為だったのだろうか?

その後、”にわしん”君と合流し、千駄ヶ谷にある貸しスタジオに移動。
練習するバンドは、2007-9-5 ”私の友人が作家!!!”で、紹介した鈴木瑞穂君のバンドだ。

実は、私も彼らと少々音楽活動をしていたことがあり、楽しみにしての訪問。
にわしん君がベース、鈴木君がサイドギター、後リードギター、キーボードの4名が練習。
ドラムは、私用にて欠席。


左から、にわしん君、鈴木君


彼らは、私がUターンする少し前にバンドを結成した。
自分たちのお気に入りの曲のみを演奏。
多少、怪しいところがあっても、愛嬌。
おじさんの最高の趣味かも?

スタジオに入ってのは何年ぶりだろうか?
なんとなく、居心地が良く、楽しい時間であった。

夕方からは、旧友と能登料理を堪能。

http://r.gnavi.co.jp/g078511/

シロえびのお造りに始まり、魚貝を堪能した。
〆に食べた”ふぐの卵巣へしこ”のお茶漬け
これは旨かった。
この店は、大あたり。

その後は、いつものhuuで最後の夜を満喫。

麻布、練習スタジオと懐かしい1日となった。

今回は、スケジュールがはっきりしない状態の上京だったが、突然の連絡にも快く応じてくれた方々に感謝。
今回も、充実した旅となった。
今から羽田に移動するが、台風の影響による雨にてフライト時間が乱れないことを祈りつつ。

2 件のコメントがあります。

9月 17 2011

いとこと再会

投稿者: カテゴリ:店主のまわり,店主ブログ

私の母の姉の子(つまりいとこで、私より6歳年下)と30年近くぶりに再開した。

きっかけは、1ヶ月ほど前のこと彼から電話をもらった。
「父が亡くなりました。」と。

母の姉は、30年前に他界しており、叔父さんが再婚されこと等で我家と疎遠になっていた。
連絡は、父と叔父さんの年賀状のやり取り程度。
父は、7年ほど前に江津を離れ川崎で私と暮らし始めたこと。5年前に私と江津に戻ったことなどを近況として年賀状に書いていたが、いとこの彼は実家を出て暮らしていたこともあり、叔父さんから断片的な情報しか持っていなかったようだ。
私も同様に彼の情報は、ほとんど持っていなかった。
ということで、彼は私の父に電話してきたのだ。
Uターン時に、NTTさんに「昔使っていた電話番号がフリーであるならば、その番号が頂きたい」旨のお願いをしラッキーな事に昔からの電話番号が入手できていたために、彼からの電話が受け取れた様だ。

電話しているときに、そのことに気がつき
「健五(私の父)と話していると思っている?」
「はい。」
やっぱり
「息子ですよ。健五は2年前に他界したよ。」
「えっ、そうでしたか。」
私がUターンしたことは、なんとなく聞いたような?と言っていた。

そんな事で、今回会うことにした。
新橋第一ホテルで待ち合わせ。
彼は、私のHPを見て私の顔を認識していた様で、彼から声を掛けてくれた。

6歳年下といっても50歳のおじさん。(失礼)
大学卒業後フリーのスポーツライターとして新聞や雑誌にプロ野球等のコラム等を掲載しているのだそうだ。
それらをまとめた本も出版していた。
その業界の事は、全く知らないが、おそらくフリーで30年近く飯が食えているのだから立派。
プロ野球界の監督人事等の裏話も少々教えてもらった。
勿論、ここでは書けない。

時間は、あっという間に過ぎ、再開を約束して別れた。

彼から、彼が書いた本をプレゼントしてもらい、少し走り読みをしたが、さすがプロ。文才がある。
彼が、私のブログを見てくれるのは良いのだが、文才の無い私としては少々照れてしまう。

夜は、昨日のブログを見た、当ブログのコメンテーター”千葉の旧友”君と”三歳からの同級生”君が、共に飲み会があるが、huu(私の行きつけのショットバー)にて合流しようとの連絡をくれ、”三歳からの同級生”君が21:00過ぎ、”千葉の旧友”君が23:00過ぎに合流。

お隣に居た、お客さんも一緒に記念撮影。
後列左”三歳からの同級生”君 右”千葉の旧友”君。
まるで前列のカップルの背後霊の様?

“千葉の旧友”君と”三歳からの同級生”君は、初対面。
更に、写真に入ってくれたナオちゃんは、私も初対面。
にもかかわらず、和気藹々と話は閉店時間まで続いた。
カウンターのお店huuの良いところだろう。

また新たな輪が出来上がった。

いとことの再開もあり、充実した1日であった。
しかし、深夜2時までの夜遊びは疲れる。

4 件のコメントがあります。

9月 16 2011

島根の海に感謝

昨日(9/15)から上京しています。

今回は、最近母方の叔父が他界し、親戚の訪問もあり、結構ハード。
よって、今回はほとんど友達関係とは会えない。残念。

昨日は、島根、東京共に晴天で、飛行機からの眺めもなかなかのものでした。
今回は、米子空港から飛んだのですが、飛び立つとすぐに海に出て、綺麗なブルーのジュウタンの様でした。
房総半島上空を飛び、今回は千葉市よりの空路。
幕張メッセ、ロッテスタジアム、TDRも結構な大きさに見え、更にスカイツリーが他の建物に比較して群を抜いて高い事も確認できた。

そこまでは良かったのだが、若洲ゴルフリンクスが見え始めた頃から、海の色が黒く見え始めた。
太陽光線の加減かな?とも思ったが、そうでもなく羽田からモノレールに乗り、見える運河も真っ黒。
明らかに、島根の海の色とは違う。
今までは、それほど感じたことが無かったので(汚いとは感じていたが、ここまでは)、少々びっくり。
工場等からの微量の油分が、海流等により集結してしまったのか、夏の暑さで海底の沈殿物が腐敗して羽田近郊の海が全て、真っ黒に見えるのか?
今、魚釣りを趣味としている私は、島根の海に感謝。

昨日は、一つ用事を済ませた後、21:00頃古巣の方と合流。
以前も少し書いたが、古巣のプライベートコンペの誘いが今もある。
次回は11/3,4の2ラウンド。
Uターン後勿論参加できていないが、3/10の上京時にはそのメンバー10名が集まってくれ、楽しい時間を過ごした。
そのコンペに、2年ほど前から島根の産物を山藤(三等)賞として提供している。
その賞品を渡すために合流。

その際、「忙しい?」と愚問をしたが、当然の如く火力関係はドタバタの様だ。
日本のエネルギー安定の為に、頑張ってもらいたい。

今日(9/16)も、東京は天気が良く、暑くなりそうだ。

コメントはまだありません。

9月 14 2011

津波で山消える 

今日(9/14)も、暑い1日。
そろそろ涼しくなって欲しいと思うのだが・・・。

少し興味深い記事を見つけた。
311の津波で、国内で2番目に低い山が消えたと言うのだ。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110914-OYT1T00636.htm

その山は、仙台市にある日和.山。
高さは、6.05m。

日本一低い山は、大阪市の天保山。
高さは、4.53m。

日和山が、津波の被害に遭い、消えたとの事。
その記事には、日和山は1909年頃住民が作った」と。

山って作って良いの?

あるHPで下記説明を見つけた。
「小さくても山となっていたり、盛り上がった土地と認識されたりと様々であり、単純に標高では決められないということが分かりました。地元が山と言えば山となる、つまり地元の人々の認識に従っている。」
つまり、日本一低い山の4.53mより低い山を作って「山だ。山だ。」といい続けていれば、日本一低い山となる可能性があると言う事だ。

日本一が無い、江津市で日本一を作ることは難しくないと言う事だろうか?

とは言っても、何か解せない。
「自然の力で出来たのが山」と言う定義出ないと、誰でも低い山が作れてしまうこととなる。

山が造れる夢を残し、今のままでも特に問題ないのだが・・・。

コメントはまだありません。

9月 13 2011

円高は、どこまで?

今日(9/13)も、晴天で温度上昇。
とは言っても、朝夕は結構涼しくはなったが・・・。

東北大震災の経済的影響は、ここ江津でも色々と有ったが、徐々にその影響も回復しつつある様だ。
しかし、ここに来て今度は円高の影響が危惧される。

ここの所76円台で推移。

少し振りかって見ると、小学校の時だったろうか初めて為替相場という言葉を知ったのは・・・。
その時は、固定相場で360円一定。
今や、当時の5分の1。

1960年代初めに比較して、確かに日本の経済力等は確実に上がり、円が強くなったと認識できる。
しかし、ここ数年日本経済が強くなったとはとても思えない。

他国の経済力が日本以上に悪いという事なのだろうか?
為替は、色々な要因が絡み合い、我々素人には理解しがたい。

1980年後半頃、私の記憶だと円相場が急激に高くなり140円程度になった頃、「輸出案件を110円でも利益が出る様に検討するように」との指示があり、緊急検討を徹夜で行った事を覚えている。
その後、更に円高が進み100円を突破。
最近は、徐々に円高が進み70円台。

いったい、どこまでいくのだろうか?
このまま、推移すると部品等を作っている会社は海外へ出て行くしか生き残る道はなくなってしまう。
そうなると、当然職を失う事になる方も多くなる可能性がある。

今日の野田新首相の所信表明で、「年度内に経済復興施策をまとめる。」と語られたが、大丈夫だろうか?
どうにも、心配でならない。

2 件のコメントがあります。

9月 12 2011

直流送電・・・・。

今日(9/12)は、残暑と言うより、真夏の再来とも思える強い日差しが照りつける1日となった。
しばらくは、この天候が続きそうだ。

またまた、孫社長が突飛な発言をしている。
直流の高圧電力網「スパーグリッド」の構築を提案。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110912-OYT1T00608.htm?from=main4

直流送電の方が、色々と有利な点があるのも事実。
例えば、LED照明を使うのに、24V程度の直流にすると発熱量も少なくなり、長持ちするはず。

電力網が2兆円程度で、整備できると安易な見積もりを言っているが、発電所の出口での交流から直流変換装置、さらには各家庭の電化製品等を全て直流対応にする必要があり、この金額が膨大と考えられる。

TVをアナログからデジタルに変更するだけで、これだけ大騒動になったのに、電力を交流に直流にする事がどれだけ大変な事になるか・・・?

個々には、家庭用太陽光発電の電力が家庭で使える事もあり、原理的には問題ないとは思うが、検討も皆無で思い付きを孫社長とは言え、電力素人が簡単に発言すべきでは無いと思う。

まずは、現在の設備(原子力も含め)を、いかに効率よくかつ安全に活用するかを議論すべきで、新たな提案をすべき時期では無いような気がする。

コメントはまだありません。

9月 11 2011

311から半年

今日(9/11)で、あの東北大震災から半年。

その時、私は新橋駅のSL広場を通過中だった。
何度も、何度も来る地震に、広場の廻りのビルが倒れるのではないかと恐怖を覚えた。
次々と、廻りのビルから出てくる方で、広場は人で埋め尽くされた。
どこが震源なのか?広場にある競輪ビルの大型スクリーンにNHK映像が流されるまで理解できていなかった。
その時、携帯電話のワンセグ機能等を完全に忘れた状態だった。
2時間、立ちすくんでしまった。

その夜は、金曜日だと言うのに、いつもとは全く違う新橋駅あたり。
いつもは終電の時間は、まだ携帯は繋がらず、帰宅難民が、あふれていた。
コンビニからは、食料が消えていた。

その日から、日本が変ったと言っても過言ではない。

報道にて、震災地域の半年後を伝えている。
色々な苦しみの中、頑張っておられる情報も・・・。
しかし、今だ手付かずの地域もある。

福島第一原発も落ち着いており、このまま終息に向ってほしいと思う。

まだまだ、難問を抱え地元の方は、色々と苦しんでおられるのに、鉢呂大臣が「死の町」とか「ほら放射能」となんとも無神経な発言で辞任。
日本の政治家は、こんなレベルなのだろうか?
そう言えば、「全国からの寄付金が、全く被災住民に届いていない。」との報道が以前あったが、今はどうなのだろうか?
色々なジャッジは、困難を極める事は理解できるが、被災者への生活の為の一時金は早期に必要なはず。

先ほど女川町の再建計画が報道された。
8年計画で、再建するとの事。まだまだ、先が長い。

国民全員で、復興に協力していかなければならない。

頑張れ、東北。頑張れ、日本。

コメントはまだありません。

9月 10 2011

マー君リベンジ

今日(9/10)は、朝から晴天。
日差しは、真夏の様だ。

午前中は、キス釣り。暑かった。
この時期は、海の砂浜ではあまり釣れなくなる。釣れても小さい。
と言う事で、江川の河口に出向いた。
大物はいないものの、20cm弱のサイズが揃っていて、結構釣れる。
2時間程度で、30匹ほどの釣果。
ご近所に、お裾分け。
当然、我家の夕食は、キス三昧。

午後からは、日ハム-楽天戦で、5年前の甲子園以来の戦いが見られると、TVチャンネルを切り替えたが、残念ながら放映なし。
インターネットで、速報を見ていたが、4-1で楽天の勝利。
マー君が完投で、甲子園のリベンジ。
と言っても、これからは何度も対戦する事になるのだろうから、まずはマー君が1勝。
斉藤も完投。(梨田先輩のナイス采配)
今晩のスポーツニュースが楽しみ。

コメントはまだありません。

9月 09 2011

電力使用制限令解除

今日(9/9)は、午前中は晴天。
午後から一雨来る様な空模様となったが、何とかセーフ。

この秋模様に、東京電力、東北電力で発令されていた、電力使用制限令が、今日解除された。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110909-OYT1T00918.htm

今年の夏は、昨年ほどではないにしろ、かなり暑い日もあったが、心配していた停電になる事は無く、無事夏を乗り切った。
しかし、浜岡原発の停止の為の中部電力、各所での火力発電所のトラブル等もあり、関西電力、中国電力、九州電力も予備率が数%に落ち込んだところもあった。
各企業の協力、各家庭の省エネで、乗り切れた感じた。
良かった。良かった。

北海道電力の泊原発の運転再開により、稼動する原発が出てくると思われ、冬場も何とかなるのでは?

今まで、原発の廃止の件、風力等の電力会社買取等の報道が間違っている旨の指摘を何度が行ってきた。
それらの報道の中に、「ドイツは風力等の自然エネルギー依存が高く、日本もできるばす。」というのもあった。その理由が送電・発電の分離等が上げられていて、そんなはずは無いと思っていたが、下記報道で、理由が明らかとなった。

http://www.47news.jp/47topics/premium/e/219738.php

ドイツ単独の電力発電比率は、自然エネルギー発電の比率が高いようだが、フランスから原発にて発電された電力を大量購入しているらしいのだ。
ヨーロッパ全体で見ると、発電方式比率は、ほぼ日本と同じ。

停電しない日本の電力網は優秀で、不便は感じないが、その他色々(放射能、CO2等)の問題を考える、電力網全体を見直していく必要があると考える。
自然エネルギーを有効活用できるスマートグリッドの試験は各所で始まっているが、その対応には膨大な費用が掛かる。

政府から「今後のエネルギー施策を再見直しする。」との掛け声が上がったが、その後の動きが見えない。
結論を出すまでには、相当時間が掛かるとは思うが、方向性を論議する委員会等が発足したとのニュースも無い。
いつ頃、方向性が発表されるのだろうか?

2 件のコメントがあります。

« 前へ - 次へ »