1月172015

関西大震災から20年

今日(1/17)は、朝から雨がパラつく天候。
風も強く寒い。

 

関西大震災から20年。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20150117-OYT1T50006.html?from=ytop_top

 

早いものですね。
その日は、3連休明けの火曜日。
今思えば、当時の情報量はほとんどなく、朝のニュースで関西で結構な規模の地震があった事は報道されたが、あれだけの大災害との認識は無かった。
会社の席について、9時ぐらいに私の前の電話が鳴った。
関西支社の知り合いから電話。当然仕事の電話かと思ったら
「関西支社に電話が繋がらないので、そちらから電話してもらえませんか?」
「地震で回線が混雑しているのかな?何と伝言すれば良いの?」
「私は、3連休で妻の実家に来ていたのですが、今朝の地震で身動きできない状態です。家族はみんな無事です。ご近所に亡くなられた方方がたくさんおられ。生き埋めの方もおられる様で救助に協力します。と」
細かい状況はつかめないまでも、大変な災害だと感じ、長電話も問題と思い、関西支社に伝える事を約束して電話を切った。
その後、関西支社には、社内回線電話が繋がり、その状況を伝える事が出来たと記憶している。

その後、外出から帰ってきた方が新聞社の号外を持って帰ってきて、高速道路が倒れている写真を見た。

 

当時は、会社のデスクのPCは、インターネットに繋がっていた記憶があるが、報道各社のサイトはまだ無かったと思う。
今の様なeメール等も無く、社内メールがあった程度だったのではないかと。
携帯電話は有ったが、その使用者はお金持ちの方のみ。

それを考えると、関西支社の方が私のデスクの電話に繋がったのも奇跡だったかも?

 

関西大震災の時からは、通信技術等は格段に進み、携帯電話はほとんどの方が持ち、更にスマホ、タブレット等で情報は即座に知る事が出来るようになった。
緊急地震メール等の技術も確立されつつあり、地震の前に地震が来ることを知る事も出来る様になった。

しかし、東北大震災の時は携帯電話の基地局が破壊され、東北地区のかなりの地域が携帯電話が使えなくなった。
東京でもほとんど繋がらなかった。
災害後の通信網の確保等に関しては更なる改善をお願いしたいものだ。

 

ちょっと心配の記事も。
山陰でも活断層が見つかったというのだ。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150115/k10014713351000.html

ひずみ集中帯が出雲市から鳥取方面にある様だ。
かろうじて江津市には掛かっていない様だが、このひずみの為の地震が発生したら、江津市もかなり揺れる事は間違いないと思われる。
地震の無い地域と思っているが、その時の対策はしておかなければ・・・。

 

更に、住むならば災害が起こりにくい所にしたいのは誰しも事だと思うが、そのヒントが地名に有ると

http://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201501_post_5549.html

例えば、「川」「河」「江」「沢」「瀬」「浦」「池」「沼」「袋」「泉」「井」「汐」「潮」「浜」「洲」「須」「田」の漢字が使われている地域は、水に関係した地区であり、地盤が弱い可能性があると読むことが出来ると。

言っている事は判るが、なかなかそれだけでは・・・・。
過去から住んでいる所は、なかなか移る事は難しい。

 

関西大震災から20年で、色々と考えさせられる日となった。
出来れば、大災害が発生しない事を祈りたい。

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