10月222015

突然の問合せメール

今日(10/22)は、朝から曇りがちの天気。時折薄日の時間帯も。
明日からの週間天気も、晴れマークが続いている。
この時期は、これだけ晴れが続くのは珍しいのでは?

 

1週間ほど前に、1通のメールが花田屋の代表メールアドレスに飛び込んできた。

「題目 花田屋について

突然の変なメールですみません。
実は古い屏風の下張に、昔の書き物があり、その中に花田屋の文字と福寿丸の文字がありましたので何か関係があるのかと思いメールしました。
明治の初めごろ船を使って荷物を運んでいたことはないでしょうか?」

原文そのままです。
差出人の方は、突然のメールと書いておられ、更に”変な”と書いておられる。

つまり、半信半疑でメールしておられる様に見える。
差出人は、大阪府高槻市に住んでおられるAさん。
私は、当然存じ上げていない。

Aさんは、実家にあった屏風の下張の中に「花田屋」の文字があり、インターネットで検索し、私のHPのアドレスにメールをされたのだそうです。

「花田屋」のHPでは、花田屋の歴史なんてページも無いですから、半信半疑のメールだったのだと思われます。

 

その写真を送っていただきました。

P1000371
屏風の下から出てきた、下張りの紙を丁寧に剥がされた物を並べたところらしい。

P1000370
上の写真の赤丸部分の拡大写真。

 

真中に「久手村」「花田屋」「福寿丸」「明治9年・・・・・・」と読めます。

明治9年ごろは、「花田屋」は船問屋を営んでいたと聞いている。
しかし、船を持っていたかどうかは、不明。
花田屋の右側にある「久手村」が気になった。
大田市に久手町と言う所があり、漁港もある。そこに「花田屋」というお宅が有ったのではないか?とも思える。

更には、島根県以外とも考えられる。

 

仮に、写真にある「花田屋」が我が家とすると、子供の頃、日本海側の焼き物や漆器を江川を使って山陽側に持っていく貿易の仕事をしていたと聞いた事が有ったので、それ品物が大阪まで行った時の送り状的なものとも思える。
しかし、私の知識はそこまで。
30年間江津市に居なかった事もあり、両親から過去の話を聞く機会も少なく、更に歴史ものの知識が無い。
という事で、町内のKさんに、ご相談。

「北前船の関係では?」と。
北前船は、日本海側だけと勝手に思っていたが、大阪にも行っていたらしい。
いちばん左の「明治9年・・・・・」の最後の文字は「入船」と読める事でも北前船ではないかと。
その北前船に荷物を渡す「渡り屋」という商売もあったとの事で、写真の右端に「渡り屋」とある。
つまり「福寿丸」は、「渡り屋」の船の名前では・・。と。
更に、「久手村」は、「福寿丸」の係留されていた港とも考えられる。と。

 

いずれにしろこれだけでは、推測の枠を超えられないが、何とも不思議なご縁です。
念のために、島根県との縁について尋ねたが、ご親戚とかも含めてもご縁が無いとの事で、何かの取引の送付状なり、控えなりと言える感じがする。

 

「花田屋」をインターネットで検索されたの事なので、私がHPを立ち上げていなければ縁が出来なかった。
Uターン後、仕事を始めるにあたり何か法人名なる物を考えなければと思っていた時に、当ブログで時々コメントをくれる”新聞屋の所長”君が、「昔の屋号にすれば?」と行ったことで「花田屋」にした経緯がある。
この時、法人名を「花田屋」にしていなかったら、このメールは、届かなかったと思われる。
HPを立ち上げる時は、この様な明治9年の出来事に対してのメールが来るなどは、夢にも思っていなかった。

 

こういうのをロマンと言うのかな?色々な偶然が重なっている感じもする。
1週間ほど、歴史的な事に興味ない私が、歴史の中に引きこまれた感じがした。

メールを出して頂いたAさんに感謝します。

2件のコメントがあります。

2 件のコメントがあります。

  1. 三歳からの同級生 2015/10/23 18:33:06

    花田屋 様

    ロマンだねぇ。

    Aさんが屏風の張替をしなければ・・、下張りの整理をしなければ・・、君の花田屋のHPがなければ・・。

    ルーツ探しの旅にでも出ますか?

  2. 花田屋 2015/10/23 18:53:31

    三歳からの同級生様

    そうなんだよね。

    歴史家の方々も、色々なところからの情報を繋げて、一つの歴史を解明するのでしょうね。

    大変な作業と実感。

    先祖の残した足跡が出てくるは、本当にロマンです。

    俺も、どこかに残さなくては・・・・。

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