1月182009

阪神・淡路大震災から14年

投稿者: 0:21:07 カテゴリ:店主ブログ,社会の出来事に

平成7年1月17日9:30頃
関西支社のA氏から電話
「ご無沙汰です。」
「朝、大きい地震があった様だけど大丈夫?」
「大丈夫ではないです。」
「???」
「今、神戸の嫁の実家にいて、支社に電話するけど繋がらなくて、私は無事だけど会社に行ける状態で無いと支社に伝えてほしいのですが・・・。」
「えっ、どうしたの?」
「ご近所の家もかなり崩壊して、死者も多く出ています。出来る事をお手伝いしないと・・・・。」
「それは大変だったね。君の家族は無事なのか?」
「はい、無事です。」
「判った。こちらからも電話が掛かりにくいとは思うが、支社には何とか伝えるよ。」

私が、地震の少し前まで、関西を担当していて、彼とやり取りをしていたので、電話をくれたものだった。
出社前のTVでは、関西で大きい地震があったとの報道はあったものの、その大きさはわからないまま出社していた。

社内電話で、関西支社にはすぐ繋がり、用件を伝え、状況を聞いてみると支社にも出社しているのはごく僅か。
電車も殆ど止まっているとの事だった。

そうこうしていると、外出から戻ってきた社員が号外を持って帰ってきた。
あの高速道路が崩れている写真が掲載されていた。

そして、昼休みに見たTVは、驚愕する光景だった。

詳細は、下記の報告書にあるとおり。

http://www.bo-sai.co.jp/sub6.html

自分が体験した訳でも無いが、もっともショックを受けた地震の報道だったと覚えている。
火災の主原因が、電気を送電したことによるものだった事にもショックを覚えた。

その後、仕事であった火力発電所にも地震対策を講じたり、地震の火災対策の特許を数件出した事もあり、この地震の事は色々と調べたと記憶している。

この地震は、専門家も予測しておらず、予兆の地震も無く、警戒感の無い地域だったはずだ。
以前にも、書いたが私の住む江津市も地震の無警戒地域。
時々、消防署で地震発生時の訓練等の報道を目にする程度。
各学校の地震対策実施率も全国平均を下回っている。

予算の確保も難しいと思うが、出来る事から行う必要があると思うのだが・・・・・。

地震前には何度か訪問したが、地震後は一度も訪問していない。
しかし、今や我々が尋ねても、その影は無いのかも・・・?
そのくらい復旧できて良かった思う。

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