田舎への思い

2012年11月2日(記)

当HPを立ち上げた田舎への思いを全く更新していなかったが、月日も流れ色々な変化もあり、Uターン丸6年迎えるにあたりを更新することにした。
(下記に、2007年9月1日に書いたものを、そのまましてあります。)

2007年9月1日に書いた物を読み返してみると、江津市に帰る決心をした経緯が主で、「江津をごうつと呼んでもらえる事を・・・。」で終わっている。

江津市を離れ、東京や東京近郊で暮らしている時は、江津市の人口が減少しているとか、江津駅前が寂しくなったとかの何となくの情報しか入ってこずに、子供のころのイメージが勝っていた。
しかし、Uターンしてみると、私が卒業した中学校も、私が在籍していた時は全校生徒700人ぐらいだったものが、今は300人を切っている。
市内のあちこちに地場産業である石州瓦の製造会社があったものが、今は数社が残るのみ。と徐々に、その状況が鮮明になってきた。

Uターン直後、この地域の企業の部長とか課長とかの肩書を持った方々と会話すると、中間管理職とは思えない発言に驚き、中間層の教育が必要ではないかと気づき、サラリーマン時代に経営改革の職を行っていた事を中心に資料を作り始めた。

その資料を持って、商工会議所に出向き、「社員教育のセミナーを開きませんか?」と提案したところ、「この地域は、社員教育の風土が無く、おそらく受講生が集まりません。」との回答。
このままでは、この地域の企業は、益々陳腐化してしまうと思っていた頃、リーマンショックの影響で、国が雇用維持の為に実施する雇用調整助成金の為のセミナーの講師を依頼された。その後、月1,2回の講師を引き受けた。

それと、ほぼ同じ時期に、企業対応の職で官庁系の嘱託職員の依頼を頂き、勤務場所は移ったものの2012年3月まで勤務することに。

嘱託職員であったこともあり、2010年からの県主催の新入社員合同研修の企画会議から参画し講師も行う事になる。 同時に、中堅社員の研修を少人数で開講する事が必要と提案し、5Sリーダー研修と中堅社員研修(PDCAを中心とした改善)を企画し講師も行う事に。
10名限定の講座に抵抗も受けたが、それ以上だと、ただ参加となる方が出てくると、強引に押し切り、かつ受講企業への巡回も行い、企業自体も指導することにした。

更に、改善活動の最先端を見せた方が早いと思い、私の古巣の工場見学、東京ビックサイトの展博を見せる事を企画し、2010年と2012年の秋に実施した。

ただし、受講生を集めるのに、もう一人一部上場会社の工場で安全担当をされていて、UターンされたHさんも、私と同様に嘱託職員をされていて、二人で企業訪問し、教育の重要性を訴えることが出来たことで、開講できたと思っている。

更には、講師として大手自動車メーカーで改善を担当していたAさんもUターンされていた事も大きい。
従来とは、異なったセミナー等を開講することに予算付けしてくれた官庁の方にも感謝です。

これらの活動の中で、私の生まれ育った江津市および近郊地域に、私が協力できることは、「企業を強くすること」だと、はっきり認識した。
その為にも、社員のモチベーションを向上させる為の社員教育等を行う「風土」を作っていかなければならない。

この地域の企業が強くなることで魅力的な企業が増え、雇用が安定し、新卒者を多く採用できる事が望ましい。
その効果で、個人の所得が上がり、人口減少に歯止めが掛かる効果があると考えている。
また、地域の企業が強くなることで、それに関連した企業を誘致する事も可能と考えている。

とは言っても、中国・韓国企業の台頭、リーマンショックやEU経済の悪化等影響、3.11の様な災害等の外部要因により、一気に窮地に追い込まれることもある。
また、円高影響で、中小企業の海外工場移転も加速している。

5Sとか改善とかは、教育を受けたからと言って、企業内ですぐに目に見える効果に繋がるとは言えないが、リスク要因が発生した時の影響を最小限に留める施策ともなる。

この4月(2012年)からは、嘱託職員の任期が切れ、「花田屋」としての業務100%となり、企業と直接契約し社員教育を実施させて頂いている。 更には、上記のセミナーの講師も継続して行っている。

これからも、地域の人材育成の為に奔走していきたいと考えている。 

更に、元火力発電所の設計者として、地域のエネルギー施策にも提案していきたいと考えている。
経済産業省が2030年にスマートグリッドの全地域完成を計画している。
既に、横浜市などの4か所で、大試験を実施している。
江津市では、大試験は、勿論できないが、過疎地でのスマートグリッドのモデル地区になる事を目指したいと考えている。

 



2007年9月1日(記)

花田屋 店主 山藤昭彦は、
30年ぶりに勤務していた会社を早期退職し
‘06年11月に生まれ育った田舎に帰ってきました。
田舎とは、島根県江津市(ごうつし)です。


★田舎へのUターン
おそらく、都会に出て就職し、田舎をどうするか、悩んでいらっしゃる方は多いと思います。
私が、会社を退職する際に社内のあいさつ回り、メールでの挨拶に対する返事で、
「両親は、都会へは出て行きたくない。と言うし、出てこられても住んでもらう所に
苦慮するのも事実だけど。田舎に帰っても働くところが無いし・・・・・。」
とかの発言をたくさん頂き、両親の介護等で悩んでいる方が非常に多いことを実感しました。
私の場合が参考になるかどうかは、別にして田舎へのUターンのきっかけを紹介します。

 


1.一本の電話、一通の手紙

今回Uターン劇は、田舎からの1本の電話、1通の手紙からの始まりであった。
1本の電話は、‘0410月に田舎で一人暮らしをしている当時85才の父だった。
「今日、足が腫れて病院に行ったら、腎臓が悪く入院治療が必要だそうだ。
これ以上ひどくなると人工透析だそうだ。」
母が他界(‘932月)してからは、父は盆・正月に上京しており、
その年の8月にも上京していた。
その時も、足首あたりが少し腫れていたが、リューマチの腫れだと、
私も、父も思っており
「病院に行った方が良いよ」
「あー」
程度の会話で田舎に帰っていった。
まさか腎臓が悪いとは。

将来は父を呼んで暮らす予定で、川崎市麻生区に家を購入(‘952月)しており、
「その時が来た」かとの思いで、すぐに上京させる準備に取り掛かった。

まず、病院。
私は、ほとんど病院に行ったことが無く、各所の病院の評判すら知らない。
唯一知っていたのが、私か、人間ドック行く会社の病院(東芝林間病院)。
しかし、もちろん評判など知らない。
父がどんな状態か詳細がわからない今としては、評判の良い医者が
良いのか?
HPを見ると腎臓内科がある。
従兄弟の、神奈川子供病院の医者に聞いた。
「東芝林間病院は、どう?腎臓内科もあるみたいだけど」
「良い評判は、聞かないが、悪い評判も聞かない。
腎臓内科を専門に扱う所があるのは、しっかりした病院とも言える。
当面は問題ないと思うよ。入院して対応状況をみて
別の医者は、いくらでも紹介できる。
看病する側が、無理せず通えるところが一番」との事。
これを受け、東芝林間病院に連絡すると
入院ベッドも空いているとのことが判り、
すぐ入院の手続きを行った。

幸い、治療が適切だったのか、腎臓は、ほぼ完治に近い状態になり1ヶ月後に退院した。
ただし、100%の完治ではなく、後は通院治療でとの退院である。
退院後、父は田舎でまた暮らすとの思いで、毎日散歩にも出て、
ご近所の方からも声を掛けて頂き元気にはなった。
しかし、なかなか田舎で一人暮らしをする勇気が持てなかったのか、
月日は過ぎて行った。
退院から1年程度過ぎたある日
「田舎へ帰るのは、諦める。ここで暮らす。」
「いいんじゃない」
これが、いつ終わるか判らない介護生活の始まりとなった。

今まで、介護について、まじめに考えた事も無く、
「どうやったら介護保険が使えるの?」それすら判らない。
それから、手当たり次第に聞きまくり、
「住民票が無いと、川崎市での介護は受けられない。」がやっと判りその手続き等もあり、
かつ田舎の家を1年空家にしていたので気になり父を連れて帰省した。

この帰省が、父を弱らせる結果となるとは・・・。
田舎のご近所の方は、1年ぶりに見る父に喜んでくれ、
涙してくれる人もいらっしゃりありがたい事と思った。
滞在の最後の日に、たくさんの方々から「餞別」等を頂くこととなり、
「今生の別れ」と思えたのか、父には、知らず知らずに精神的なダメージになった気がする。
更には、先に述べたとおり、もともとリューマチを持っていて入院中に筋力が弱ったためか、
足の変形が進み歩くのが徐々に困難になってきたのも原因で、散歩も出ないようになり、
家の中で過ごす事が多くなり、見る見る弱ってくるのを目のあたりにした。

1通の手紙は、’065月に田舎の市役所からだった。
田舎の私の生まれた家の近郊が「甍街道」として国交省の推進する「街並み環境事業」
の一つになり、父が上京後、空家になっていたので、家の状態と今後の対応、
私の家で所有している江戸時代の絵地図(このHP、homeのトップ写真)等の
保存状態等を心配されての手紙で、一度電話頂きたいと書いてあった。
同封された「甍街道」のパンフレットを見ると、その絵地図等が引用されており、
古い家の紹介リストに我が家も載っていて、正直「参った」と思った。
上京した父からは、
「どこかの大学が、家の調査に来たが、家を解く費用は、家の材木を売れば確実に出る
と言っていたので、田舎の家の事は安心しとけ」と聞いていたので、実はショックでした。

電話してみると、「甍街道」の簡単な説明を受け、
「田舎に帰られる予定は?」
「働く所も無いので、当然考えていません。」
「古民家ブームで借りたい人も多いので、貸す事も考えてほしい」
「はぁー」
「帰省される事がありましたら是非お会いしたい。」
「はぁー」
との返事をして電話を切った。ここからが葛藤の始まりだった。

 


2.葛藤


父の状態は、認知症が出ている訳ではないが、このままの状態が続けば認知症も
発症するのではないか?
その後の介護はどうなるのか?
このまま終演を迎えて父は幸せなのだろうか?
田舎の家は、どうすれば良いのか?
まだ、個別に何かに認定されたわけでもないし、今なら更地にする事も出来るか?
今後も住み続ける予定もはっきりしていなかった事もあり、それほど手も加えていないので
痛みが激しく、他人に貸すためにはかなり手を入れる必要がある。費用は?
家にある家財はどうするのか?全て処分?又は、家財を保存する場所を借りる?
仮に、家財の事は何とかなったとして、10年間だけ、借家してもらう都合の
良い相手は見つかるか?
かつ友人(法律家)のアドバイスは、一度住んでもらうと居住権が発生し、
都合よく出て行ってもらえなくなる可能性もあるとのこと。
では、このまま定年まで(約10年)、時々自分が帰省するのと、近所の方に空気の入れ替えを
頼む程度で傷みの激しい家は、現状維持できるのか?
この時まで、定年後の自分のことまでは全く考えていなかったと言っても良い。
でも、長男だし、墓はどうするのか?
川崎の近所の方は、みんな親切にはしてくれる。でも、田舎ほど定住率は高くないこともあり、
いつ人が入れ替わるかわからない。今の父の姿は、
2030年後は自分の姿?

仮に、Uターンするとした場合、仕事はあるか?現在の職種を継続できる企業は無い。
じぁーどうする?

 


3.決定

こんな事を数ヶ月考えたが、結論が出ない。
生まれて初めてと言ってよいほど悩み7kg程度やせた。
余談だが、Uターン前に東芝林間病院で人間ドッグを受けた際に、
「去年と比較して、かなり絞りましたね。いいですね、何か運動でもしましたか?」
「Uターンを決めるのに悩み、自動的に体重が落ちました。」
「何でも良いです。他に悪い所は、ありませんので維持してください。」
「・・・・・。」
今は、しっかり元通りになってしまった。(メタボリック症候群ではない。)

悩みに悩み、8月半ばに出した結論は「江津に帰る」だった。
江津と川崎は、やはり遠すぎてコントロールが効かない。
川崎に住む限りは、父の事、田舎の家の事、その他、
コントロールできない問題は次から次へと発生する。
江津に帰ると問題は自分の仕事だけになる。(もちろん日々の問題は出るだろうが、)
今だったら、就職するにしろ、自分で何かするにしろ、まだパワーが残っている気がする。
自分の老後は、企業年金を受け取る権利は、確定しており国民年金と企業年金を
合わせると田舎で暮らすには、何とかできるぎりぎりの金額にはなるはず。
とすると、後15年ぐらい頑張れば何とかなる。
お盆休み明けに、会社に申し出て、‘069月末で退職する事になり、10月に残務整理を行い
112日にUターンとなった。

 


●関東在住30年間で感じていた事

1.島根県は無名地域 更に江津市はもっと無名
2.島根県と鳥取県の位置関係が不明な方が多い
.江津を「ごうつ」と読めた方はほとんど無し
4.江津を代弁出来る名物・産業なし
  (唯一判ってくれるのは、高校野球で甲子園に時々出る「江の川高校」)
5.帰省した際のお土産が無い。(選択手段が少ない)
  なぜか「カニ」を要求される。(江津ではカニは取れません)

●今回Uターンして感じた事
1.昔の感情を持った親しみやすい田舎
30年間ほとんど帰省しなかった私をとても温かく迎えてくれました。
2.相変わらず鍵を掛ける文化の無い町
  しかし、最近は不審者の出没・オレオレ詐欺も起こっており、悲しい限りです。
3.IT化の遅れた町
  関東地区であれば、街を歩けば何かしらITの香りのする
システムがありますが、田舎は、ほとんどありません。
  銀行のATMぐらいでしょうか?
  ある場所で、名札を首からぶら下げている人がおり、
  「を、入退出管理?と思いきや、ただの紙の名札でした。

 



★田舎への思い
こんな中途半端な田舎です。
でも私の生まれ育った町です。
自然が身近にあり、海は綺麗だ。しかし、裕福ではない。
みんなで助け合って生きてる感じがする。
「こんな町に、私が出来る事は無いか?」
ITを用いた何か町興し(安全・安心で正しい情報が伝わる町)が
出来き、国内有数のIT化の進んだ町として有名になれば
良いかと考えております。
そして全国の皆さんに
「江津」を「ごうつ」と読んでもらえればと思います。