3月112026

3.11から15年経過

今日(3/11)は、お昼前から日差しが出て、ここ数日の10℃以下ではなく、11℃台までは上昇した様です。
そうなると、当然の様に花粉が舞っています。







2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災から15年を迎えました。

新聞記事

被災地からの岩手、宮城、福島3県の沿岸など42市町村では現役世代(15~64歳)の流出が加速し、震災前と比べた減少率は全国平均の倍近い17%に及ぶ。と。
まだ、2万6千人の人が避難生活をされている様です。

ニュースでは、復興された部分の事は語られていますが、現役世代の流出が多いとなると、被災地全体の震災前の状態には、まだまだ戻っていないと思われます。
特に、働く場所が無いと言う事でしょうか?
あるいは、大学等で県外に出た方が卒業後Uターンする比率が下がったと言う事でしょうか?

人口が落ち着くことが、復興の指標とすると、それに合わせた復興施策が出来る事を願います。


3.11の事は、何度かアップしていますが・・。
当日、新橋のSL広場近郊の喫茶店を出た時に遭遇しました。東京の震度は5強だった様です。
その後、余震が続く中、SL広場に2時間ほど立ち尽くしました。
その際、広場から見える大型スクリーンに、報道番組が映し出され、津波の模様等も流れました。
その報道により、とんでもない地震が発生した事を知り、すぐに電話連絡をしなくては・・。と、電話を掛けましたが、2本だけ繋がり、その後は全く使えない状態になった事を記憶しています。
しかし、一旦ホテルに戻り、メールや当ブログを更新し、自身の安否を伝える事は出来ました。

夕方、再び出かけ「行きつけのショットバーに出向き、酒便等が散らかっているだろうから手伝いに行ってみるか」と思って行った所、地下1Fの店は、シロップ1本が落ちて割れただけで、ほぼ無傷。
店内は、止まっている電車が動き出す人で、満席状態でした。
その記憶はあるのですが、その日の夕食は、どこで食べたかの記憶は全くありません。
その帰りに、ホテルの1Fにあったコンビニに行った際に、食品系の品物はほぼ無くなっていた記憶はあり、流通もストップしていて、その後の入荷は無かったはずです。

ブログを読み返すと13日の飛行機で、江津に戻った記載があります。
都内は、停電していませんでしたので、各店舗で保存食材の中で、営業してくれていた店があったのでしょうかね?
それとも、地震直後にコンビニで、食材の買い出しをしていて、ホテルでカップラーメンか何かを食べていたのでしょうか?


3/12に福島第一原子力発電所1号機の水素爆発が発生しました。
ブログ読み返したところ、その記載はありませんでした。

当時は、福島第一原子力発電所1号機に東芝が関係している事は、当然認識しており、余計な事を書くことは、問題ありと判断したのかも?
私は、火力発電所担当で、原子力発電の事は、大まかな事は、入社直後の研修で習った程度でした。
その時の記憶は、「日本の原発は、何があってもチェルノブイリ原子力発電所事故の様なメルトダウンとなる事は無い。更には、1m以上の厚さのコンクリートの部屋に閉じ込められた状態で、仮にメルトダウンが発生しても、放射能が外部に漏れる事は無い」とも。
その研修だけで、それを鵜呑みにしていたのかもしれません。
当然、各種電源はAC、DCの二重化としてあったり、更にバックアップ電源もあり、すべての電源が喪失することなどもあり得ないと思っていたかも?

想定以上の高い津波が発生した事であるとは言え、監督官庁の資源エネルギー庁は、その電源システムの配置等に了解を出しいた訳で、その想定は全く出来ていなかったのだと思います。
その近所にある、福島第二原子力発電所や女川原子力発電所(東北電力)の電源装置関係の配置は認識していませんが、たまたま津波による電源喪失は無かったのだと思います。

東京電力では、福島第一原子力発電所の営業運転開始は、1号機46万kw 1971年から始まり、6号機110万kw 1979年まで次々と建設され、更に福島第二、柏崎刈羽と次々と建設されました。
建設ラッシュで、配置計画が雑になっていたとは言えないとは思いますが・・・。


いかなる状態になっても、放射能の外部流出はあってはならない事と思います。
その対策を実施し、いくつかの原発が再稼働しています。
次の大型電源として期待されている核融合発電は、2040年代から2060年代にかけて実用化、普及するとされていますが、現在の原子力発電所及び火力発電所のすべてが、置き換わるまでには、まだまだ相当の時間が掛かるものと思われます。

今は、AI等の検索が一気に増え、相当の電力量の伸びが予想されていると聞きます。
原子力発電所の再稼働が数か所で予定されています。
更に、火力等の新設も多くある様です。
是非、如何なる災害、クーデター等による事故と言えども、発電所からの更なる災害が出る事が無い事を願います。

1 件のコメントがあります。

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  1. わっしょい 2026/03/12 4:58:53

    311震災からもう15年ですか。当時東京に訪問されていて被害に遭われなかったのは何よりです。13日に帰られたということは、福一からの放射能暴露の心配も有りませんね。

    私は当時国立に住んでまして、只事でない長時間の揺れにより海溝型大地震を確信し即車のガソリンを満タンにした記憶が有ります。丁度転職の隙間で自由が効き、福一3号炉が黒煙を上げて大爆発した報を見て退避を決め、1ヶ月ちょっと江津に避難していました。
    田舎が有るというのは素晴らしいことです。江津から大都市に出られている方の実家じまいを聞きますが、出来る限り実家は残しておいた方が良いように思います。

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